これははてなブログに投稿された「初めてのアナルセックスの話」というエントリーを元に過去に投稿された文章です。
序文
皆さんこんにちは.
いきなりですが,このブログを始めたキッカケは「文章をアウトプットしたい」などの真っ当な理由ではなく,TS3(TeamSpeak3という古のボイスチャットツールのことです)のNPL(Non-Profit Licence)が欲しくて,その要件に
- 独自ドメインで送受信可能なメールサーバーがあること
- 対外的にコミュニティとして活動していることがわかること(ブログなど)
- そもそも非営利目的の運用であること(Non-Profit)
などがあり,仕方なく始めたのがキッカケで最近はもっぱら整備記録簿となっていました.しかしながらTS3は役目を終え,NPLは今ではどうなったかすら知りません.つまりこのブログは無くてもいいものになった訳です.
そうなると整備記録簿も付けるのが面倒になり,いつどんな整備をしたかもよくわからないし,最近は仕事もせず男に養ってもらって家事をやっているので毎日が同じように流れていってゲシュタルト崩壊を起こしてもっとよくわかりません.
昨日何食べたとか,何時に起きたとか,どこの山に行ったかとか,オサワリマンが居て裏から上がってきたとか,追い掛け回されて逃げ回ったとか,ガラスが飛び石で割れたとか,封印外して綺麗につけたとか.
そんないい意味で平凡で平和な毎日の中,急遽祖母の引っ越しが決まり,
女になってから会っていない && そもそも何も伝えていない
状態で引っ越しの手伝いをして,帰りの車の中で「あぁ...どうしてこうなったんだろうな...」という人生に対する疑問などが生まれ「『ホモセックスなどたくさんしているのだろうな』とか思われてるのかな」などなど頭の中をグルグルしていた訳です.
そこで(??)今回は420馬力で走馬灯をはしらせ ”初めてのアナルセックスRemix feat.おれ” を書くことにしました.
アナルセックスAttempt
当時性別でちょっと病んでいたころにXIV(final fantasy xivのことです.)をプレイしていて,その時に一緒にプレイしていたのがFPSのころから5年以上酸いも甘いも共に味わったプレイヤーで,エタバン(ゲーム内結婚のような概念です.)をしました.
私が気があったので適当にアタックしたら「いいよ」って言うし「ちょっと会いたいね」ということになり私が大阪から東京まで直6マシンで夜な夜な快適に行って股を開きましたが流石にノンケだったのか失敗しました.その当時,彼の周りに”そっち”の人間がいて,準備に必要な物やら必要なもの(読者ならわかるだろ)を教えてもらったのか一通りの準備して待っていてはくれました.
まあフニャかったのが第一印象 彼はがんばってスゴジュウとか買いに行ってた その節は努力してくれてどうもありがとう 人間無理はしてはいけない.
そのあとはすぐ別れました 終
インターネットで簡単にそういうことはしないほうがいいらしいと学んだ.ありがとうXIV もうアカウントもコミュニティもないけれど.
初めてのアナルセックス
女装させてくれるお兄さん(BF3でヘリがとてもうまい)がいて,次はそのお兄さんに恋をしてしまいました チョロいなおれくん こんなのでいいのか
性別で病んでた頃は結構障害で,縋れるものがあるとすぐ縋って依存する典型的なメンヘラでした.適当に縋っておうち行って「そういう雰囲気」になり初挿入!
お尻で遊ぶタイプのお兄さんだったのでならすのも上手だった気がする.あと普段からぼちぼちアナニー経験もあったので余裕!けど肝心のお兄さんはいうほどあんまりホモではなかったんですね.適当に腰振って終わりました.なんでそういう雰囲気になったんだろう.
もちろん私は初めてなのでエグいマグロでした.それもあったのかな.面白くなかったよねごめんねアカシックレコード2022
私は結構マジだったけどそれはそれとして仕方ない お互いある程度気持ちよかったしそれで終わりでいい気がする.
あとお兄さんはこないだカローラとか納車されてた.このお兄さんは後におれが女ホル漬けにしました.
初めてのアナルセックス2
車輪の転がし方はさておき,心はそれなりに乙女(笑)なので「初めては心がそれなりに通ってないと初めてじゃない!」などという考えが心の中に少しだけあり,このため2に続きます.
2回目は車女もどきに転生した時のフォロワーちゃんで,結構かわいい存在だったので適当にチョッカイを出しました.典型的なオタクでホモとかノンケとかそう言う概念ではなく「シコれれば何でもいい」というやつ きっとそう.
当時はまだ大黒とか東とかのカーミーティングなどを面白そうとか思っていた(単純に男漁りを楽しんでいた)ので適当にそういう場に誘って「寒くない?」とか言って「あったまろ~!」とか言って腕に抱き着いたりしてました.「もっとあったまっちゃう?」となりそのままホテルへ.この頃はまだ金玉をとりたてホヤホヤだったからか性欲があったみたいです.
オタクがラーメン屋に一人一台で行くのは日常ですがこの回は確かラブホに一人一台でした 営業妨害か?
PAであらかたウォーミングアップ(?)は終わっていたので入室即抱き着きからのベロチューの後シャワーを一緒に浴びバトル開始.
「お尻あらう?」って聞かれて「うん」って答えたあたりで勝負(?)は決まり一通り準備が終わった後にベッドインして初めてのアナルセックス(2)を敢行.
1回目もまあ気持ちよかったような気はするんですが,やっぱり行為中だけでも好き好きされると気持ちいい物で精神的満足感が断チでした.
そのフォロワーちゃんもその気なのでお互いフィニッシュするまで行為は続き私は半分気絶させられてしまいましたがあとから聞くとフォロワーちゃんもちゃんと最後まで気持ちよくなってたみたいです.よかったねめでたしめでたし.
これは余談ですが,ホテルの駐車場に現在わたしが恨んでやまない車屋のステッカーを張ったBMWがとまっており,その当時はわたしもその車屋のステッカーを張っていたのでこっぱずかしい気持ちになった記憶.これは最近知った話ですが,風俗街とかに行くとチェーン店のチューニングショップのシールを貼ったBMWとかがたくさん見られるらしいです.320iとか,523iとか,そういう下位グレードだけどチューニングして「何者かになりたいが,何者にもなれなかった」オヤジが触媒付き検対REMUSとCPMとARCの補強バーとSEVを入れ、ルームミラーには青かかった広角ミラー、エンジンルームには意味のないサブコンとプラズマダイレクトをつけ、なけなしのボーナスをはたきガソリンスタンドでキーパーを施工された愛機で風俗街に行き着くのか,と思うとそれにならずに済んだだけまだマシかな.
そんな何者でもないオヤジになり果てるならM3シバいてホモセックスしたり金玉を取ったりちんぽをとって女になったりしたほうが100倍有意義というものだ 知らんけど. いや,きっと違うな
おしまい.
初めてまんこセックスはきっと平凡すぎるので書く予定はありません。
お久しぶりです。
njallaが.\nl TLDを扱わなくなり暫くオフラインになっていました。
ドメインは如何なる理由があってもしっかり持っておくべきで、njallaは論外だった。移管もできないとなるとただ死にゆくのを見るだけの人になってしまいます。
しかしながら大学一年生の私にはをこまでのリテラシーはなく、匿名性というだけでnjallaを選んでしまいました。CDNを入れてもMXレコードを引けばIPアドレスは見えるし、適当に適当を重ねたような…
当時はwakiga\.nlで商売するなんて考えてもいなかったし、商売をする時はきちんと準備すべきだと学びました。
前回韓国VFS(声オペ)の記事を書いて暫く経った後、その記事を非公開にしてから「もう性別関係の記事は書かない」と誓ったのですが、この間フォロワーの過去エントリーに感銘を受け「初めてのアナルセックス feat.chang」を公開してしまいました。一度始まれば誓いは音を立ててダムのように崩れ、タイが退屈すぎるためまた記事を書くことにしました。チョロいね。
今回の記事は一般人向けですが、オカマオナベの皆様方にも参考になるかと思います。
アテンドは無しでいきました。
思い立ち
彼氏くんと同棲して1年が経ち吹田の社宅が窮屈で、摂津に引っ越してから半年経とうとしている中、彼氏くんが転勤する可能性が高くなりました。
仕事柄もともと転勤が多い彼ですが、別支部の担当者が病に倒れ、予定よりも早くの転勤となりました。
転勤の際は社宅が用意されるのですが、この社宅は独身の場合ワンルーム、既婚者の場合は広い部屋が用意されることとなっています。
吹田の社宅からから個人契約の摂津に移った後は経済的に結構カツカツで彼の車検切れのM3を起こすどころか自身のM3を維持することで精一杯でした。(いや、自分のもそんなに維持できていないな。)
そこに転勤となるといよいよ厳しく、私がタイに行くために避けておいたお金を使うという選択もありましたが、プロポーズも受け、先延ばしにしても仕方ないためいい機会かと思いSRSを受けることになりました。
25歳までに女になりたいと思っていたのでちょうどよかった。それに伴い悲しいがm3は降りることとなってしまいました。誰があんなボロを買うと言うんだ….
前略
術式
性転換と言ってもさまざまな術式があります。
玉袋を膣にする方法や、ちんちんを丸々ひっくり返して穴にする方法、さらには大腸を切り取り膣にする方法、腹膜を膣にする方法などなど….
本当はスポーツテクニックを受けられるスポーンクリニックにしたかったのですが、睾丸摘出後に玉袋が萎縮していると太ももや鼠蹊部から皮膚を移植する必要があり、そうなると大きな傷跡が残るためスポーンは断念。
となると残りは反転方か大腸方ですが、またもや反転方は玉袋が萎縮しているため厳しいとなり、大腸法となりました。
病院選び
日本でやると女性器とは思えない見た目のものが出来上がる上,値段が高いというディスアドがあります。基本的にタイがうまくて安いです。
タイで性転換と言ってもタイにはいろんな病院があります。
有名どころでガモンホスピタル、スポーンクリニック、ヤンヒー国際病院などなど、名前をあげ始めたらきりがありません。
整形ならばカウセ巡りを行ったりしますが、実質的な予算の都合やらで1番有名なガモンに決めました。
予約
まずは病院にコンタクトを取る必要があります。
メールで問い合わせるのもいいですが、ガモンからのレスポンスはかなり悪いです。
私のおすすめはWhatsappです。問い合わせの際の言語は英語です。こちらもお世辞にもレスポンスが良いとは言えませんが、毎日24時ぐらいになるとまとめて返事をしてくれます。
メールにて日本語で問い合わせると日本人スタッフから返事がもらえますが日本人スタッフの方は2024/11月末までお休みされているそうなので、急ぎの方以外は日本人スタッフの”はるみ”さんがいらっしゃる時に渡航することをお勧めします。
私ははるみさんがガモンにいない時に渡航することとなってしまいましたがこれはアテンド会社を利用する場合はあまり関係ないかもしれません。
ちなみにはるみさん以外にも日本語が伝わるスタッフがいらっしゃるようです。その方は韓国語と日本語両方を担当されており、英語でのやりとりが不安ならそちらの連絡するのも手でしょう。whatsappで日本語担当者と喋りたい旨伝えれば恐らく連絡先を共有してもらえると思います。
金額
アテンド会社に問い合わせはしていないですが、アテンド会社のホームページによると私が選んだ開腹大腸法だとオペ自体は49万バーツらしいです。
私がwhatsappから直接問い合わせた時は55万バーツだったので、もしかするとアテンド会社には割引かなにか効いているのかもしれません。
そこから更に術後宿泊施設が必要になります。以前はガモン病院の上層階に宿泊施設があったようですが、現在はK Gardenという少し離れた場所に移動になりました。
とにかくその滞在施設の予約もとねばいけません。1番安い部屋で1500バーツ/泊でした。
そこから更にタイ人の精神科医2名の診断書、ならびに事前検査で結局562,800バーツ、そこからガモンの手数料が加わって583,876バーツでした。それをプラチナプリファード一括で払ったら270万円でした。
おい、これじゃタイSRSガイドセンターと同じ値段じゃないか。私は同じ値段を払って不便を買ったというのか。
支払い
Wire-transferがいいと思います。いや、それ以外の支払い方法は実質的にないだろ。
ちなみに私はバカなので全額クレカで支払いました。前記の通りクレカで支払う場合はクレカの外貨手数料に加えてガモンからクレカ決済手数料を乗せられます。相手が堺の車屋ならツイッターで加盟店違反だとか大騒ぎするのですが、手術となるとまた話は別です。そんなところでゴネて失敗したらどうしようとか、そういう考えが頭をよぎります。
スケジュール調整
ありえないぐらい返事が遅いガモン担当者との対話は困難を極めますが、whatsappなら一日に一回は返事が来るので気ままに待ちましょう。
私はwhatsappのファーストコンタクトが9/13、オペ日が決まったのが9/16,支払いリンクが送られて来たのが9/19でした。払っちまえばこっちのもんよ。
ちなみにオペ日は「いついける?」との旨聞いたら最短で10/9と伝えられそのまま決めました。渡航日は10/6です。
急だなとは思いましたが「オペはまだなのか」と悶々とする時間が短いと思えばこれもありだったかな。
ちなみに日本では血液の基本検査以外なんの検査もしてません。
ヤリマンならぬヤリアナだった時期はあるかもしれないですが、不特定多数というよりツイ廃のフォロワー数名だったしHIVは大丈夫だろう。
渡航
飛行機乗るだけです。
降り立ったら携帯のキャリアによりますがまずはデータローミングをオンにしましょう。韓国の時もローミングオンにしてなくて繋がらなくて悩んだな。
入国審査ですが韓国では目的から滞在先、帰りのチケットまで確認されましたが指紋取るだけで終わり。
Day1
着いたら事前に説明を受けた合流場所で拾ってもらいます。
そこからK gardenに移動して一泊。朝ごはんがついて来ます。メニューから選べば300バーツまでのものはサービスで超過分は払わされます。
この日は何もせず寝るだけです。晩ご飯は買いに行け。マクドが日本より美味い。
ちなみにですが大腸法とPPVはオペ3日前から繊維質のものを避けダイエットフードを食べるよう促されています。
「渡航後オペ前ははどこに泊まるんだ」とか「いつから入院なんだよ」みたいなのは事前に教えてくれないので聞きましょう
ちなみにですがK Gardenのwifiは部屋ごとにSSIDが振られているのですが、切れたり繋がったりします。流石にムカつくので持って来たノパソでwiresharkを使ってパケットを見たらブロードキャストストームが起こってました。
ふざけんなこんなんじゃwifi使えないだろ。
Day2
10時から病院です。当日朝9時に10時に来てくれてwhatsappで連絡がありましたが、9時からあいてるので開凸しました。着いてからwhatsappで連絡きた。
検査前に個人情報の取り扱いに関する同意書、日本の病院の初診で書かされる内容などを書きます。
この時にカルテ用の写真を撮るのでちゃんと化粧をしていけ。
その後身長体重を測り、家族の病歴、自身の病歴、並びに前にどんなオペを受けたかなどを伝えます。
その後血液検査、レントゲンです。
血液検査をするとかしないとか聞いていましたが朝ごはんは食べたし前の日はコーラにマクド、機内では浴びるように飲酒をしていました。
浴びるように飲酒後気絶していたためあまりフライトは長く感じないライフハック。
一応2週間前から禁酒らしいです。煙もダメらしい。
いつまでたっても共同危険行為はやめられないし、すり抜けで一般人の生命を脅かすような人間でも自分の身となればそれなりにいいつけは守るけど機内でベロベロになったのは最高でした。
それと10/9にオペと聞いていたのになぜか10/10がオペだとこの日に聞かされました。
そんなこと一言も聞いてなかったぞ。
終わりにMilk of Magnesia(マグネシアの下剤)を寝る前に飲めって言われて渡され帰っていいよとなります。
9時から11時ぐらいまで病院にいたかな。そこからは自由です。
Milkとか書いてあるからどんな味かなと思って一口味わったおれがバカだった。
飲む時は鼻をつまんで飲んだ後ガモン水を流し込み間髪入れずに歯磨きがおすすめです。
ちなみにお味はイソジンにエステル系のエンジンオイルを混ぜたら多分再現できます。
午後に見舞いに来てくれた婚約者くんと合流しました。
Day3
15:00から入院する日です。絶食で腹が減る。
一緒に射撃場行ったりオートバックス行ったり一通り遊びつつ入院まで暇つぶし観光。
入院後はひたすら”死んでも文句言いません”にサインを繰り返し、そのあとに精神科医の先生2名との面談があります。面談といっても日本のガイドライン見たいにギッチギチじゃなくて一人当たり5分、聞かれる内容は「いつからホルモンやってた?」とか「いつから女として生活してた?」とか「やっちゃったらもう戻れんよ?」とかでした。わかっとるがな。
19時ごろにXUBILなる訳のわからない名前の下剤を飲むのですが、これがまあすごい。お味もさることながら頭痛と吐き気も同時にきます。
感覚としては二日酔いでお腹も頭も痛いのに君持ち悪くて普段は信じてない神様に祈りを捧げている時と同じです。
本当にしんどい。
ただ2時間弱で頭痛も腹痛も吐き気も全便消えて全くの元通りになります。逆にすごい。
21時にマグネシアを飲んでこの日は終わりです。
Day4
いよいよオペ日です。
6時から何も飲めないのですが、6時前に2本目のXUBILがやってきます。
マジで許せねえ。飲んだらしんどくなるのをわかっているものを飲むのって精神的にめちゃめちゃダメージですがちゃんと飲んでちゃん2時間しんどくなりました。
9時ごろから浣腸が始まり、いちじくのバカでかい版、1L以上あるやつ2回されます。
両者共に液体が冷たいままなので破壊されつつあるお腹がここで完全に破壊されます。
その後10時ぐらいまでは暇だったのですが、10時ぐらいから浣腸が始まり計おそらく7回。
一回の浣腸が1Lで温めておいてくれたりもしないので結構おなかがきつめです。
そのあとはオペ室に向かいます。同業者の動画とかである車椅子に乗せられた後、4階だかに降りてオペ室の前のストレッチャーに乗り移ります。
そのあとすぐにまたオペ室のベッドに乗り移ります。(オペ室前のストレッチャーに移動するの、必要だったのか?)
あとは気づいたら死んでました。
Day5
3時ごろ目覚めました。オペ室で気絶したのが16時頃だったと思うので、12時間ぐらい寝てました(照) 寝る子は育つ。
とにかく鈍痛ですぐモルヒネをもらいました。
事前にオペナースさんにスマホを渡していたので起きたらすぐ渡してもらえました。やったあ。
そのあと5時に病室に移動し地獄のリハビリ生活の始まりです。
まず股間が痛いのは想像にむつかしくないと思うのですが、術式がS字結腸だったため張り裂けるような痛みが下腹部を襲います。
もちろん足動かしても痛いしとにかく何をしても痛い。息してるだけで痛くてモルヒネ大量投与され意識がもうろうとする中で一日を終えました。
ちなみにですが、歯磨きとかは一人じゃとてもじゃないけどできないので、アテンドを雇うかナースさんを呼ぶか彼氏を呼ぶとか何とかしましょう。水は飲めないけど口を磨くだけでだいぶQOLが上がる。
Day6
鈍痛と腸の激痛でほとんど寝れません。寝るというかモルヒネで意識が飛んでるだけだろ。
また起きたら歯磨きからさせてもらいました。
昼頃までえぐい激痛が走り、本当に勘弁してほしかったのですが、夕刻ごろ歩行を開始って聞いていたのですが、それまでにめちゃんこ腸が痛い… 患部の痛みは二の次です。とにかく腸が痛い。
消毒も抜糸もありましたがそんなの何でもないです。腸だよ。腸。
そんなこんなな不安を抱えつつ17時から歩行開始でその3時間前にナースさんが体を起こしに来てくれるんですが、その時点で腸が激痛。体を起こして1時間で起きてるのが無理になりました。
無理になったのでナースコール、したら10人ぐらいきてとりあえず歩くか???となり歩きました。
起きるときが一番つらかったかな。気絶しそうになりました。
”気絶するような痛み”とか大げさな~wていつも思うんですけど、息ができなくなります。目の前が暗くなるとかあるんだ。自慢でもなんでもないですが、痛みにはかなり強いほうなのに本当に気絶しかけました。
立った後は普通に歩けました。彼君の帰国が日々迫っているので早く自分でいろいろできるようにリハビリを進めないといけないし、いろいろ焦ってるのでバリ痛い中結構歩きました。
バリ歩いた甲斐があったのか痛みは40%ぐらいまで引きました。ここで初めて股間のほうが痛いなといった感想を抱きました。
痛みが結構取れたので割とぐっすり目に寝れました。
Day7
早いもので渡航から一週間たってしまいました。
前日に歩きまくったおかげか痛みはほぼひいてます。この日から痛み止めをもらうのをやめました。
朝の消毒で初めて消毒ちょっと染みるなと感じたぐらいの痛みにまで回復しました。
朝の消毒の後、水が解禁されました。80時間ぶりぐらの水だとなんでもおいしいです。ガモン水最高。
昼の15時から歩行開始。昨日気合入れた甲斐があって普通に一人で立ち上がれました。
それが終わってから独り歩きが解禁されました。久しぶりに歩いたな。術前に歩き回ることをお勧めします。歩けることがどれだけ尊いことかよくわかる。
そのあと少したち点滴が取れました。残りは尿カテだけといった具合。
9時ごろに術後初めて便意を催したのでトイレに行ったら凄い色のものが出てきました。
この日は彼氏くんの帰国日です。10時に病院から出て行ってDMKからKIXまで帰っていきました。
さみしいので帰った後すぐ寝ました。無。
Day8
今日から二週間目です。
痛みはほぼなし。朝から普通に立ち上がって歯磨きもできるし、コンタクトも洗いに行けるし、身の回りの事は一通りはできます。
朝からまんこが頼んでもないのにぬれていて、股間に冷たいローション塗りたくられた後、そのまま寝た時みたいな感じがします。結構不快感が凄い。ガーゼとナプキンじゃしばらく収拾がつかなさそうだ。
更に朝からからスープ解禁です。タイ独特の変な味がしますが、味付きのものが久方ぶりなので何でも旨いです。
昨日点滴が取れたので、内服の抗生物質に切り替わりました。